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日本の旧暦「神無月」はどんな月だった?各地の文化・風習をご紹介

旧暦の10月は神無月です。
 

10月といえば、どんなイベントがあるでしょう?
 

気候については、もうすっかり秋ですし、秋といえば「読書の秋」や「食欲の秋」、「スポーツの秋」などと表現されることも多いですよね。
 

・日本の旧暦「神無月」はどんな月だったのか?

・神無月では古くから各地でどんな文化・風習があったのか?

こちらでは「神無月」についてこのようなことをご紹介していきたいと思います。
 

ぜひ、ご参考ください。
 

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神無月(10月)はどんな月?

神無月である旧10月は祭事の少い月であったが、現在の10月はたいへん行事の多い季節であります。
 

初旬には、秋の味覚の代表ともされている松茸も出始め、シメジその他の茸が茸狩りの人びとを楽しませてくれます。
 

中旬になると長雨の続く秋霖も終り、天候も定まり、「天高く馬肥ゆる候」となります。
 

秋晴れの続くこの時期は運動会や行楽に最適の時であり、菊の季節でもあります。

 

神無月は神々が出雲に集まる

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この月は、家々の荒神様や恵比寿様を留守番に残して、神々が出雲に集まって男女の縁結びの相談をするのだといわれます。
 

出雲地方では神在月といい、神々の集まる月であるから特に忌み慎むべきとされています。
 

出雲大社や佐太大社では、神在祭を行っています。
 

出雲大社では10月(今は11月)11日から17日まで神在祭が行われていますが、これをオイミサンといっています。
 

菊の行事が満載

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重陽(旧暦9月9日)には宮中で菊の宴が催されました。
 

沖縄地方では、この日、チクザケ(菊酒)といって、菊の葉を浸した酒の杯を祖先の霊前に供える風があります。
 

またこの日を男の遊びといい、収穫後の骨休めの日としています。
 

東京浅草の浅草寺では、10月18日に菊供養が行われます。
 

参詣者は菊を供え、帰途供えてあった菊を引換えに持ち帰り家に飾ると病気 災難よけになるといわれます。
 

全国各地で菊の品評会が開かれ、懸崖づくりやあんどん作り、大輪の菊など、丹精込めた様々の菊花が目を楽しませてくれます。
 

菊は欠くことの出来ない秋の風物詩の1つであります。

 

神無月 各地の文化・風習

京都の「ずいき祭り」

ずいき祭の名で知られる京都北野天満宮の祭礼(10月1~4日)も、もとは重陽に行われていました。
 

ずいき祭というのは、屋根、柱などの主な部分にズイキ(芋茎)を用い、珱珞などを赤トウガラシ、ホオズキなどの秋の果物、野菜などで飾った「ずいき神輿」が出御することからついたもので、氏子たちが収穫を感謝して捧げた秋の味覚で神輿を飾ったことから始まったとされています。
 

大阪の「住吉大社の祭り」

大阪住吉区の住吉大社の祭りは10月17日で、相撲十三番が奉納されていた事から住吉相撲会とよばれていました。
 

またこの時、升や銀を入れる器(取鉢)が市で売られたので、宝の市、升市ともいいました。
 
 

旧9月13日は「後の月」で、十三夜の月待ちをします。
 

8月(仲秋) の芋名月にたいして、豆名月・栗名月と言います。
 

豆・栗等の収穫を祝う気持ちが込められています。
 


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新米で餅をつき、贈答する風習

10月の最初の亥の日に、新米で餅をつき、互いに贈答しあう風習があります。
 

これを亥の子の餅といい、玄猪ともいいます。
 

この行事は平安時代の貴族社会で既に行われていて、そこでは無病息災を祈願してのものであった武士社会でも同じような意味で行われていたが、農村では収穫祭の性格を強く持っていました。
 

中国地方などでは、平年は12個、閏年は13個の餅を枡に入れて箕に載せ、臼の上に置いたりして田の神に感謝していました。
 

この日、子供たちが棒状に作った藁を持って家々を訪れ、庭先を叩いてまわる所も多くありました。
 

家々では、餅や菓子を与えて祝ったのです。
 

広島・山口では石で地面を叩いてまわる

広島・山口県の海岸部などでは、藁の棒ではなく、何本もの綱を付けた丸い石で地面を叩いてまわったのです。
 

この時に「亥の子の晩に祝わんものは、鬼産め蛇産め、角の生えた子産め」などと唱えていました。
 

そして、餅などを貰った時には「繁盛せえ、繁盛せえ」と祝い、何も出さない場合には「貧乏せえ、貧乏せえ」といったのです。
 

中部~関東地方では子どもたちが藁鉄砲を作って叩いてまわる

中部から関東地方にかけては、10月10日をトオカンヤといい、子供たちが新藁で藁鉄砲を作り「トオカンヤ、トオカンヤ、トオカンヤノ藁鉄砲、大豆モ小豆モヨクミノレ」と唱えながら地面を叩きまわります。
 

この日に餅をつく地方も多く、田の神を祭る日と強く意識している地方もあります。
 

長野県・新潟県では餅を供える

長野県北安曇郡では、10月10日に案山子を田から持ってきて庭先に立て、餅を供えて祀ります。
 

それをカカシアゲといわれます。
 

同県上伊那地方では、10月10日の夜に、庭に臼を据え、農具などに蓑笠を着せて案山子を作り、餅を供えるのです。
 

それをカカシガミサマといわれます。
 

同県の諏訪地方では、この夜は案山子のカミが天に上るのだといい、餅をつく。
 

新潟県南魚沼郡でも、10日の夜に案山子を田から撤去して餅をついています。
 

南魚沼地方では案山子を祀ることはないようであるが、その日に餅をついている以上、カミに関わる日と考えていたことは確実です。
 

山形県では少年が「大地踏ミ」を行う

山形県櫛引町の王祇祭では、当家の座敷に設えられた神事の場で、王祇様とよばれる大きな白布に包まれるようにして、少年が「大地踏ミ」を行います。
 

座敷は周辺の大地の象徴であり、そこを踏むことによって、豊かな実りが約束されるのであります。
 

大地を叩くというのは、古くからの行事にみられる反閉(ヘンバイ)の伝統の影響と考えられています。
 

大地を踏んで、邪気を払い、生気を強めていたのです。
 

神事芸能にみられる足拍子もそれであり、盆踊りなどの足の使い方も反閉と同じです。
 

東京日本橋の宝田恵比寿神社では10月19日にベったら市がたつ。

これは20日えびすの前日に、えびす講に使う土焼きの恵比寿大黒などを売る市で浅漬大根に麹のべっとりついたものを売りだしたことに始まるといわれます。
 
 

総じて10月に行われる祭には「収穫祭」としての性格をもったものが多いです。
 

さいごに

祭りや行楽で賑わう晩秋の10月は、また、人恋しく、もの思う季節でもありますね。
 

松尾芭蕉も、

秋深き隣は何をする人ぞ

と詠んでいます。

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