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日本の旧暦「霜月」はいつ?どんな月?各地の祭りや行事等をご紹介

旧暦の11月は霜月(しもつき)です。
 

昔の11月はどんな月だったのでしょうか。
 

こちらでは「霜月」についてこのようなことをご紹介していきたいと思います。
 

・日本の旧暦「霜月」はいつ?どんな月だったのか?

・霜月では各地でどんな祭りや行事があったのか?

 

ぜひ、ご参考ください。
 

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霜月(11月)はいつ?どんな月?

旧暦の11月は霜月であり、「しもつき」と読みます。
 

江戸時代までの11月、すなわち霜月は、今でいうと12月であり、冬至のある月でした。
 

霜が降り、まさに冬の時期でした。
 

暦を作製する場合には、必ずこの月に冬至がくるように調整されたのです。
 

そして、この月に翌年の暦が発表されたのです。
 

太陽が最も衰える冬至は1年の終りであると同時に、1年の始りでもありました。
 

また、霜月は、古くから祭の月でした。
 

現在各地で行われている「冬祭」は、多くこの冬至前後に行なわれていた霜月の祭であります。
 

日本の旧暦「霜月」はどんな月?各地の祭りや行事等をご紹介

11月3日は文化の日

11月3日は文化の日です。
 

記録によると、この日は驚異的に晴れの日が多いということなのです。
 

秋晴れのもと、全国的に様々の文化的な催し開かれます。
 

文化庁主催の芸術祭もこの日を中心に行なわれます。
 

また、大学や高校などでは、日頃の学業の成果を発表する文化祭が行なわれます。
 

江戸の町では、この月は顔見世狂言の月でした。
 

来年の正月から各座に出勤する役者たちを披露したのです。
 

新嘗祭(にいなめさい)

宮中では、この月の中の卯の日に新嘗祭(にいなめさい)が行なわれました。
 

今でも「勤労感謝の日」として残っていますが、この新嘗祭は、1年を締めくくる重要な祭礼でした。
 

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天皇の即位式に当たる大賞祭が行なわれるのも、この新嘗祭の日であります。
 

この事からみても、この日の重要性が分かります。
 

翌日は豊明節会があり、天皇から臣下たちに酒饌(しゅせん:酒や食べ物)が供されます。
 

七五三

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この月は、七五三の祝いの月でもあります。
 

11月15日に、三歳の男女、五歳の男、七歳の女の成長を祝って氏神様に参詣するのです。
 

この時、千歳飴を買ってもらいます。
 

また、お祝いをくれた人に千歳飴を贈ったりもします。
 

昔は七五三を祝うのは関東に多かったのですが、今では日本全国でのお祝い行事となりました。
 


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酉の市

11月の酉の日には、酉の市が開かれます。
 

大鳥神社の境内で縁起物の熊手(クマデ)を売る市が立つのです。
 

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関東の商人は、それを買い求めて、店頭に飾ります。
 

熊手は、竹を割って、先端を火であぶりながらカギ型に曲げたものを扇状に広げて編み、竹の柄を付けた簡便な道具であります。
 

落葉や塵を掻き集めたり、土をならしたりする時に使う掃除道具なのだが、単なる掃除道具ではなかったようなのです。
 

能の「高砂」の尉と姥は熊手(クマデ)と箒(ホウキ)を持っているのですが、単に掃除をしているのではないでしょう。
 

老松の下に立つ尉と姥は長寿の象徴です。
 

だとすると、その手に持つクマデと箒はタマ(魂)を掻き寄せるものと考えるべきでしょう。
 

クマデや箒は、散らばったもの、汚いものを掃除する道具には違いないですが、掃き清めて美しくするという点に意味を強く持たせていたと考えられています。
 

即ちクマデを使うということは、美しく清らかなモノ、力あるモノを掃き寄せ、呼び込むという事でもあったのです。
 

そうしたクマデの持つ呪力を最も端的に見せているのが酉の市です。
 

当日神社で授与するクマデは簡素なものだが、神符や稲穂が付けてあったりします。
 

そこに、私たちは、このクマデの基本的な意味を見る事ができるのです。
 

境内に立ち並んだ市で売られるクマデも、いうまでもなく招福・開運の縁起物です。
 

クマデには、夷大黒や福の神・七福神、さまざまの宝物・千両箱・宝船などが付けられています。
 

人々はそれを買い求めて店頭に飾り、豊かになる事を願うのです。
 

酉の市は、主として関東で見られるものであるが、これと同じ役割の祭礼が関西では夷講(えびすこう)となります。
 

酉の市は、一般に「おとりさま」と呼ばれて親しまれているが、もともとは「とりのまち」といいました。
 

11月の酉の日に、東京を中心とする地域の大鳥神社で行なわれる祭であります。
 

最初の酉の日を一の酉といい、以下、二の酉、三の酉と呼びます。
 

昔は三の酉まである年は火事が多いといいました。
 

大鳥神社は大阪府堺の大鳥神社が本社だといわれているが、堺では酉の市は行なわれていません。
 

かつては東京都足立区花畑の鷲神社の市を本酉と呼び、大いに賑わいました。
 

今は、浅草に近い台東区の大鳥神社が最も盛んです。
 

大鳥神社は、武運の守り神として古くから武士の信仰が厚かったが、江戸時代中期以降、商人など客商売をする人たちの参詣が多くなったのです。
 

酉の市の「とり」を「取り込む」に結びつけて開運の神と考え、その信仰が広まったようなのです。
 

酉の市では、クマデだけでなく、笹竹に通したヤツガシラや生菓子の1種であるキリザンショウなどが売られています。
 

酉の日、各地の大鳥神社の境内にはこれらの縁起物を売る露店が立ち並び、勇ましい売り声を挙げて客を呼びこみます。
 

売買が成立すると一同で手締めをして一層の景気をつけていました。
 

鹿児島では「弥五郎どんの祭」

この月、九州の鹿児島地方では、弥五郎どんの祭(やごろうどん)が行なわれます。
 

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巨大な人形を作って町を練り歩くものです。
 

虫送りにも通じる行事で、災いを送り流すという意味を持っているようなのです。
 

これは御霊信仰の一つと考えられています。
 

だいたい、五郎という名前は御霊に通じると考えられていたのです。
 

それ故、曽我の五郎も御霊としての特別の力を持ったモノとして意識され、歌舞伎劇の主人公として、毎年のように登場していたのです。
 

さいごに

11月は一面の紅葉が山々を彩るかと思うと、里のサザンカが咲き出したりします。
 

渡り鳥の雁・鴨・白鳥・鶴などがやって来ます。
 

秋田の浜にはハタハタがやって来ます。
 

蜜柑が黄色に色づき、蛇や蛙は冬眠をします。
 

このように自然界では冬の準備が着々と進んで行くのです。
 

各地では、冬の保存食となる野沢菜・白菜などの漬物の作業が始まります。
 

こうして、冬を迎えるのです。
 

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